小学校4年生くらいまでは、
比較的、
「好きでやっている」
ということがあったと思う。
思えばあのくらいの頃までが無垢だったのかもしれない。
じゃあ、
そのまま、
外野の声を無視して好きを貫けば良かったのか。
それはわからない。
なぜなら、そういうことはやってない。
でもきっと、
小学生くらいから、
そういうものを18歳くらいまで、20歳くらいまで貫き通すのが
「本物」
なのだろう。
なんとなくだけど、
みんながやってることをやらないといけないのでは、参加しないのでいけないのでは
という空気は小学校5年生くらいからあった。
それが社会性を身に付ける、空気を読むということだと思う。
飛んで火に入る夏の虫。
ホントそれだな。それで焼け死んでる感はある。
強制はされてない。
だけどなんか、明るくボウボウと燃えてる。
明るい。
スポットライトを浴びている。
みんなから称賛されている。
そんな世界への憧れ?
これは完全に、明るさに誘われて飛び込んでいる、
つまり誰にも強制されていないけど、
これは結構危険なパターンだったな。
あと親が、
「やりなさい」
「やった方が良い」
という言うやつはクソだったな。
一方で、親に反対されても、やったこと。
それは本当に後悔していない。
むしろ、反対があっても押し切るぐらいやりたかったということだと思う。
周囲から反対されても、
そうしたい
と思うとき、相当なエネルギーがある。
これは人生では滅多にないこと。
あるいは溜め込んでいる何かがあるということだった。
周りから、
- やめとけ
- キモい
- 危ない
- 間違ってる
と言われても強烈にやりたいもの。
それには楽しみ、喜びがある。自分の心を満たすものがある。
昔はそれはバイクだったし、
環境を飛び出すことだったし、
今はJKとのセックス。
意固地になるパターンもあるだろうけど、
周囲の反対を押し切ってでも
そうしたい、という気持ちは、
「本当にやりたいことがわからなくなっていく」
この世界、人生では結構重要だったな。
素直になる、素になる、開き直る。
例えそれが、自分のステータスを下げることになっても、
そういうチャレンジは過去にあった。
素直になることで、自分が落ちていく瞬間。
そこには思い切りがいる。
それは自分を落としているようで、人生の転機だった。新しい発見があった。
「都落ち」みたいな瞬間は、
人生で必ずある。
必ずある。
開き直って、素直になって、都落ちになることで、見つけられるものというのは意外とある。
固執していたベクトルを捨てる瞬間。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。